それから三日後、この村をあげての宴会が催された。村に宿を請う旅人が訪れたからだ。旅人は漁師と自称する三人の男だった。お宮が彼らの宿泊所にあてがわれることとなった。
この旅人は、土産に携えてきた果物と酒をこの村の村長に渡した。いずれもここらでは貴重な品々だ。旅人の土産が充実していると、歓迎の宴(うたげ)を催すのがこの村の習わしであった。そうして主客互いの親睦を深めつつ、情報交換を行なうのである。電波やインターネットなどから主な情報が入ってくる現代とは違い、庶民は主にこのような方法で諸国の情報を得ていたのだ。
旅人は自分たちと同業のようなので、お互い気が楽なようにと、村人たちは宴を浜で行うことにした。

やがて火も焚かれて準備が整うと、火の周りを旅人と村の男たちが囲んで座した。女と子供たちは最初は遠巻きにして旅人を観察していたが、相手が自分たちに無関心なように見えたので、すぐに輪の近くに集まって来た。
村長が旅人の方を向いておもむろに口を開いた。
「さて、それでは始めるとしようか・・・。
私はこの村の長(おさ)の宗吉と申します。あんたがたは西の方から来られたということだが、差し支えなければ、お名前などをお聞かせ願いたい。」
この言葉によって、それまで冗談などを言い合って騒々しかった会場が急に静かになった。
三人の中央に座する、その中で一番の年長者と思しき人物がそれに応えた。
「右の者は伊予(いよ)の国安浦村の嘉平、左の者は同じく弥吉、同じく半次とはこの私でござります。」
名を紹介された者はそれぞれ軽くお辞儀をした。だが、伊予に安浦村なる地名が実在するか否かを、遠方のこの村の誰が知るのだろう。半次は話しを続けた。
「私ども、元は漁を生業(なりわい)にしておりまするが、昨年が不漁の故、本年は西国の産物を東国にて商い、東国にて仕入れた産物を西国に戻ってまた商おうと思うておりまする。『はてさて、それでは漁師は飽きたのか。』と問われれば、『漁師は飽きんど(あきんど=商人)。』と答えておる次第でござります。」
この下手な洒落で会場に笑いが起こり、その場の緊張がほぐれた。長も笑いながら言った。
「ハハハ! 判りました。半次さん、弥吉さん、嘉平さん、ご馳走と呼べるようなものは何もありませんが、どうぞ召し上がって下され。」
三人の客人もそれぞれ笑顔で応えた。
「有難う存じます。」
かくして宴会が始まった。

半次は、西国で見聞きしてきた戦国大名の合戦の有り様や、長崎で見た南蛮(なんばん)人の様子などを、持っていた琵琶を巧みに演奏して吟じたので、宴会は大いに盛り上がった。
この時代、雅楽で奏されるものを除いて、琵琶は盲目の僧が昔の物語を弾き語るものと相場が決まっていた。そのため、この戦乱の世で今現在起こっている各地の出来事を琵琶で弾き語るということは、普段は情報の乏しいこのような村では非常に珍重されることなのである。
「相違ないか。」
「相違ない。ハヤテじゃ。」
宴もたけなわ、村の子供たちに混じって座っているウミヒコの姿を認めた旅人同士の間で、密かにこのような会話が交わされたことを知る者は、他には誰もいなかった。